町田の詩
町田二中陸上部のうた
2005年6月09日
母校町田二中の校歌は
『みどりかがやく
丘の上
白き甍も
日に映えて…』
です。
ちなみに
母校町田一小は
『みどりあかるい
多摩のおかべ…』
でしたか。
いずれにしても
町田は
多摩丘陵の南端に位置する街ですので
坂道が多い街です。
境川
恩田川
そして
鶴見川
真光寺川の川沿いはほぼ平坦ですが
あとは丘陵です。
それで
みどりとか
丘とかが
校歌には必ずでてきます。
いや
二中以外の学校の校歌を
今度しらべてみなければなりませんね。
はたして
みどりや丘が歌われているかどうか。
町田の道は
境川と平行にはしる
八王子と横浜を結ぶ
町田街道を
魚の背骨とすれば
それから枝分かれする
小骨に相当する道は
ほとんど坂道といえます。
私が
中学生のころは
公立では
町田一中
町田二中
南中
鶴川中
忠生中
堺中の
六つしかありませんでした。
私立では
桜美林学園中
玉川学園中でした。
中学時代は
陸上部に属していました。
そして
その時代の長距離部は
町田市では負けしらずでした。
それで
練習練習
ただ練習でした。
トラック練習のほかに
週に一度くらい
ロードに出ます。
そして
月に一度くらいですが
片道5キロ往復10キロを越える
袋橋往還に出ていたでしょうか。
袋橋は芝溝街道にあります。
途中平坦な道はほとんどありません。
長い下り坂
そして
長い上り坂
そしてまた下る。
帰りはその逆です。
放課後の練習では
下校時間いっぱいいっぱいの距離です。
ついてこれないものは
途中で
還ってくる仲間を待っていなければなりません。
というより
まじめに袋橋までがんばる連中はまれで
途中の山谷にはたくさんの遊び場があり、
下校時間まで道草を食っていた方が
多かったようです。
ただ駈けるだけのくそまじめな先輩から
いかに逃げて遊ぶかでした。
しかし、上級生となるとそうもいかない
途中脱落する下級生を
いまいましく思ったものでした。
今
舗装された道を
車で走ると
よくもこんなところまで
しかも砂利道を
往復したのかと
感心します。
そして
そのときの長距離仲間は
もうあの世へ
二人も駈けていってしましました。
有田明君
平本富蔵君です。
そして
そのときのその仲間を偲んで
詩がうまれました。
『町田二中陸上部の歌』
です
『町田二中陸上部の歌』
一、
小田急線を 東橋で越えて
まっすぐ行けば 町高のグランド
ぐるりと回ると 天神様の坂
往きはよいよい 還りはこわい
デコボコ砂利道 ホコリ道
坂下の道は 正富加屋
ドンドンドンドン ドンドンドドーン
下っていこう
目ざせ 袋橋
下校時間に遅れるな
僕らは町田二中陸上部
二、
かわいた喉に 井出沢の水
往きしはがまんして 還りのお楽しみ
宿の三叉路の 駐在さん越せば
麦の畑に さえずる雲雀
デコボコ砂利道 ホコリ道
これから登りだ 今井谷戸
ドンドンドンドン ドンドンドドーン
上っていこう
目ざせ 袋橋
下校時間に間があるよ
僕らは町田二中陸上部
三、
丘を越えたら 薬師池がみえる
寄り道したいけど 一気に袋橋
ダラダラ下り坂 もどりは登り坂
野津田の田んぼの 田植えも近い
デコボコ砂利道 ホコリ道
鎌倉街道 鶴見川
ズンズンズンズン ズンズンズズ—ン
下っていこう
折り返せ フクロ橋
宏善寺の鐘が鳴る
僕らは町田二中陸上部
四、
五十路を越えて 寄り道をしてみた
薬師の池に 梅の香かおるころ
疲れた喉に 抹茶をいただけば
少年時代が すぐさま浮かぶ
デコボコ砂利道 今はない
昔の仲間は どこにいる
ダンダンダンダン ダンダンダダーン
思いがつのる
もどりたい もどれない
疲れを知らずに 駈けていた
僕らの町田二中陸上部
五、
小田急線を 東橋で越せば
なつかし学校の 裏門がみえる
天神様の坂 長い長い坂
心臓破りの 最後の関所
デコボコ砂利道 なんのその
仲間と一緒に がんばろう
ダンダンダンダン ダンダンダダーン
息切れするよ
もどりたい もどれない
下校時間が もうすぐだ
僕らは町田二中陸上部
六、
デコボコ砂利道 今はない
昔の仲間は どこにいる
ダンダンダンダン ダンダンダダーン
思いがつのる
もどりたい もどれない
疲れを知らずに 駈けていた
僕らの町田二中陸上部
(詞・曲;大沢則夫)